渡辺淳一という人と老い
渡辺淳一という人がいた。外科医にして失楽園という不倫を題材とした話が代表作の小説家だ。
私は不倫が嫌いなので失楽園は読んだことはないが、何がきっかけか40代くらいの頃に書いたと思われるエッセイを読んだ事がある。
文章は読みやすくその時々の自分が体験したエピソードを、感想と共に語っていく内容には高い知性と人格者である人となりを感じた。
印象に残っているのは自他共に認める人格者である先輩医師が癌になり壊れて周りに当たり散らすという話。読んだときは作者が感じた深い悲しみに共感したものだ。
エッセイを読んで興味を持った私は作者の他の小説を読んでみたがエッセイほどには惹かれなかった。
やがて彼は十年か何十年かして失楽園という小説を書いて大いに売れた。ドラマだったか映画化かされたが、どんな話でも売れて儲かるというのはいいことだ。
そしてさらに時間が経ち、すでに年老いた作者が新幹線で指定席代を惜しんだ新聞の投稿記事?を読んだ。
そこにはもうエッセイで感じた常識人と人格者の影も形もない。これはなんだろう。
私が読んだエッセイを作者が書いたのは平たく言えば有名になる前だが、それでも作家としての地位は確立していた。
エッセイの中では外科医として腕が衰えないように手術をやらせて貰っている話を読んだ気がするから、すでに小説家として生活していたハズだ。
おそらく彼はその後大いに売れて持ち上げられ、そしてそのまま老いてしまったのだろう。会ったこともない彼の人となりを論ずるのも可笑しいが、エッセイの中での彼はそんな人物とは思えなかった。
渡辺淳一はもう亡くなってしまったが、思い出すのはエッセイで感じた人格者である彼だ。晩年の話は忘れてあげるのが情けというものだろう。
しかしこの話を書くときに失楽園のあらすじを検索したが、読まなければよかったと後悔した。世の中残念なことは多々あるものだ。