わたしは眼鏡っ娘がすきだ!

漫画とかラノベとかつまり全く読む必要の無いよくある雑談

数年前の花火大会と廃墟

ブコメ書いて思いだした話

せせこましく囲まれた海水浴場脇にその家はあった。

何軒も廃屋が連なる急な坂を降りながら、廃屋好きな私はキョロキョロしつつ案内してくれる友人の後をついて行った。10件に9件は錆びて傾いた門に奥を覗き込んでも気配も無く朽ち果てている。住んでいる方が珍しいくらい寂れているが豪奢な邸宅のように見えるほど朽ち果てた姿は美しい。栄枯必衰を感じるのだろうか。侘び寂びは分からないが繁栄が大きいほど寂びれが輝いて見えるのはまだ精神が未熟だからかもしれない。

もう少しで国道に出そうなくらい歩いた結果お邪魔するときには運動不足と体重に痛めつけられた足でよろけそうだったことは覚えている。引退した建築学部の教授と聞いて想像するようなちょっと雑誌に載りそうな間取りの仕切りの少ないオープンな印象の家だ。少し暗いそのリビングに50人以上と思える客が酔っぱらってうごめいているのを見たとき最初に奥さんの苦労と内助の功という言葉が思い浮かんだ。

花火は始まっていないが既にみなかなり出来上がっているようだ。

ベランダの隅に座らせて貰って取りあえず飲み始めるが隣に座っている初対面ピアニストとお互いの仕事の話をする。建築学部教授の人脈は随分広そうだ。そういえば連れてきてくれた友人も人生ゲームのマス目にありそうでポピュラーで珍しい職業だ。コンサートに誘われたりしている間に始まった花火はかなり近いところで上げているようだ。みなが飲みながら歓声を上げている間にこちらはひたすらよく見えない料理で栄養摂取した。

花火は特筆すべきこともない。

帰りはもう分かっていない急坂を登り酒の飲めない友人の車で片付けを手伝いもせずに帰った私たちは完全にお客さんだった。勝手の分からない家で50人くらいの人間が動いてたらとっとと退散するのが一番の貢献に思える。酔っぱらいの言い訳だ。内助の功様々である。今思い起こせば人数を数えて帰るべきだったのはもちろん話を膨らませて人に伝えたいからである。大人数の集まりは度々やっているようだからこれが最大というわけでもないのだろう。

知り合いでもない知り合いが住んでいるので場所を言うのは憚れるが関東でもこのような場所が沢山あるのは知っている。閉園間近なドリームランドに遊びに行ったときも大層面白かった。

文章直すの疲れてきたから下書きとしたい

この日一番印象に残った牛スジカレーは何度も作って再現しようとした。